2023年8月11日
2022年7月下旬。
前回の不動産裁判から3年。
裁判途中に突然重い自己免疫疾患に冒された母は、この3年の間に十数回の入退院を繰り返していました。
世の中は新型コロナの第7波が押し寄せ、東京は再び感染爆発を起こし、いよいよ私もコロナに感染した7日目。
最も注意していた母への感染が発覚し、友人の助けでかかりつけの大学病院から承認されたばかりのコロナ治療薬を処方していただけたのも束の間、自宅で寝てるしかなすすべがない状況に、ただただ症状が悪化しないことを祈る日々でした。
何気なく久しぶりに玄関の扉を少しあけると、郵便受けからはみ出している郵便物。
コロナ騒動で郵便物を全然取りにいっていなかった…。
取り出してみると、そこには見覚えのある弁護士事務所からの封筒がありました。
あんなにも母を苦しめたあの裁判。
その相手弁護士の名前。
コロナのだるさが瞬時に消え、体の中が沸騰するようなかつてのあの感覚と
「父に何かあったのかもしれない。」
「いやいや、まだ待って!」
焦燥感のような思いが溢れました。
中を開けてみると、嫌な予感は的中でした。
とても簡単な父の死の知らせと、それに伴い全ての父の遺産は姉の相続になるとの知らせ。
父の死からはすでに2ヶ月近くが経過していました。
一体どこで亡くなったのだろうか。
どんな最期だったのだろうか。
友人にも兄妹にも私にも会うことを禁じられ、このコロナ禍に一人寂しく亡くなったのだろうか。
私のことを思い出してくれていただろうか...。
父が建て替えたあの家に、父がいないことだけはわかっていましたが、所在がわからなくなってからすでに3年。
豪快で繊細で寂しがり屋だった父の晩年は、父が選んだ道だったのか、それとも選ばざるをえなかったのか。
私にして欲しかったことはあったのだろうか。
その答えを聞くことは、もうできないのだろうか。
自宅療養中の部屋の中で一人、いつまでも父の死を実感することはできませんでした。