2023年1月7日
2016年5月14日。
母が一男叔父の家で過ごすようになって、1ヶ月が経とうとしていました。
私は何度か母に会いに行きましたが、姉弟に支えられながらなんとか気持ちを保っているようでした。
買い物に連れ出し、当面の衣類と洗面道具を買い揃え、ひとまず一男叔父に頼みました。
母の気持ちが落ち着くまで、一男叔父のお世話になろう。
しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。
私は父のところへ行き、もう一度話し合いの場を設けてほしいと頼みました。
現状を伝え、今度こそきちんと話してほしいとお願いしました。
父は前回とは異なり、さほど乗り気ではないように感じました。
一男叔父と周代伯母にも頼み、4人であの家に向かいました。
母は同席したくない、私たちもその方が良いと考え、母は一男叔父の家で待つことになりました。
再び話し合いの場となり、一男叔父の話から始まりました。
「ゆきの暴力を聞いている。自分も何度か暴言を吐くのを聞いている。
謝る気がないのなら、土地を明け渡してほしい。」
姉は前回同様母の悪口を言い始め話を逸らそうとしましたが、一男叔父はそれを許しませんでした。
「手を出した方がまず謝るんだよ。言い訳と人のせいを言うよりもまず暴力を振るったことを謝るのが先だろう。それができないんだったらの話をしてるんだ。」
その言葉に姉は
「自分達は出ていく。小さいアパートを借りてどこか遠いところで暮らそうと思ってる。子供たちの故郷がなくなり、貧しい暮らしをさせると思うがそれでいい。」
同情を誘ういつもの姉の作戦だと思ったのも束の間でした。
「出ていくなんて言うなゆき。子供たちはどうするの?生活はどうするんだよ。
お前はここの家を建てるのに1200万円の借金してるじゃないか。それだって払っていかなきゃいけないんだよ?そんなこと言うんじゃないよ。」
見事に父が取り込まれた瞬間でした。
この日、何も話は進まないまま私たち4人は東京へ戻ってきました。
両親が離婚したとき姉は21歳。
小さい時からやんちゃなことばかりする姉に手を焼きながら、姉が欲しいと言えば高級車もブランド品もなんだかんだと言いながら買い与えてきた父と母でした。
50歳になろうとしている姉に対し、父はその時のまま止まっていたのかもしれません。
家族を解散したあの日から、家族の成長は止まってしまったままでした。