2022年9月7日
手術の翌日、病室に行くといろいろな管に繋がれた父がニッコリと笑っていました。
また無事に会えたことがとても嬉しく、笑顔の写真をパシャリと撮ってフジコさんに送ってあげました。
しかし翌日、そしてまた翌日になるにつれ、傷の痛みと入院直前まで吸っていたタバコの影響で、日に日に元気がなくなっていきました。
夕日を見て、もう朝かとつぶやいたり、到着したばかりの私に「日が暮れたから帰りな。」と言ったり、少し朦朧とする日が続きました。
寂しがり屋の父がなんの縁もない遠い病院で、一人苦しんでいる様子に胸が痛みました。
東京の病院だったら近くの友達が気軽にお見舞いに来てくれたでしょうが、姉夫婦がいることを頼りにはるか遠い病院を選んでしまった父と私。
今となってはなんの力にもなってくれないどころか、手術とは別の大きな傷を残していきました。
なんとか少しでも知ってる顔を見せてホッとさせてあげたい。
私は毎日病院に通ったのでした。
3〜4日が過ぎ、父の兄がフジコさんとともにお見舞いに来てくれました。
私が病室に到着すると、二人はすでに父と話をしていました。
父の兄は少し呆れたように、「大変だったね、今聞いたよ。」と言い、
父は「腕、見せてやれ」と、私に噛みつかれた腕を見せるように促しました。
腫れはだいぶ引いてはいたものの、歯形の傷に赤黒く変色した二の腕を見て、父の兄は「キチガイだな…」と呟きました。
手術前は人には言えないと言っていた父が、自分の兄に一生懸命話しているのを見て、少し救われた気持ちになりました。
明日退院という日。
退院が早いことに驚きつつも、ようやく東京に戻れる安堵感がありました。
私は姉へ連絡を入れておくように父に頼みました。
何も言わずに退院すれば、ここぞとばかりにあちこちに吹聴されると思ったからです。
父は短い文章でメールを入れていましたが、返信はありませんでした。
父の落胆する様子に「もしかしたら…」という期待があるのだろうと、悲しい思いが込み上げました。
退院の日になっても姉夫婦からの連絡はなく、私と父はお昼前に病院を後にしました。
苦しげに助手席に座る父にとって、2時間半以上かかる移動は気の毒でしたが、なんとか自宅に辿り着くことができました。
自宅にはフジコさんが待っていてくれました。
用意してくれていた介護用ベッドに、父はそのまま潜り込み眠ってしまいました。
「ゆきちゃんから連絡あって、今日の午後お見舞いに行ったらもう退院しててもぬけの空だったって。ひかるちゃんがお父さん東京に連れていっちゃったって言ってたよ。」
ほらやっぱり。
「昨日お父さんが退院の連絡したよ。」
父のガラケーのメール履歴を見せながら、もはやどこに何をどんなふうに言われるのか。この細かく巧みなウソの山に、この先ひどく思いやられるのでした。