胸のあざ

2022年10月31日

暴力のあと

4月2日土曜日。

朝起きて自分の用事を済ませ、お昼過ぎに一男叔父さんの家に向かいました。

電車で1時間程度の東京の東側。

曇り空のせいか灰色に沈んだ気持ちのせいか、満開の桜を眺める余裕すらありません。

一目散に一男叔父さんの家に向かうと、母の姉の周代さんも来ていて、心配そうに母に寄り添ってくれていました。

周代伯母さんは数ヶ月前に連れ合いを亡され、一男叔父さんの近くに住む息子の家で同居を始めたばかりの頃でした。男の子3人を育てた周代さんは、幼い頃から一際姉を可愛がっていた人で、目の前にいる母の状況が信じられない様子でした。

「どうしたの…?」

私の言葉に、母は着ているシャツの襟首を下に伸ばし、左の首下から胸あたりに6〜7センチほどの大きな内出血の痕を見せ、話し始めました。

いつにも増してその日の姉は機嫌が悪く、母は滅入る気持ちを紛らわすように慶の下宿先に行くための荷造りをしていました。

すると突然姉が母の部屋に入ってきて、母がまとめた荷物をひっくり返し、胸ぐらを掴んで抵抗する母を強く引っ張り、時には後ろに突き飛ばし…自室からリビングまで引き摺られたということです。

思わず「助けて!」となんども叫ぶと、慶がトイレから出てきてそれ以上の暴力は受けずにすんだということでした。

そのあと慶を中心に夜遅くまで話しをし、慶が姉に

「おばあさんをもっと大切にしてやってほしい。いずれ俺たちも親を大切にするから。」

と諭してくれ、その日は終わったということでした。

翌朝、慶は高校のお世話になった先生に挨拶するために一足先に家を出発し、途中の駅で母や真、一男叔父さんと合流することになっていました。

母は散乱した荷物を再びまとめ、出発の準備をしていると、昨夜慶の話に納得したはずだだった姉がまた昨日の剣幕で部屋にやってきて

「行かなくていい!一男にもこなくていいって電話しろ!」

電話の子機を母に押し付け、激しく母に当たってきたのでした。

母は押し付けられた子機を手に取り、咄嗟に一男叔父さんに電話をするふりをしてやり過ごしました。そうこうしている間に真がやってきて、母を連れ出し、慶との待ち合わせ場所に向かうことができたとのことでした。

玄関を出る際も、姉は狂ったように扉を蹴り続け、その異常な様子を見て身動きがとれないでいると、真から「もうほっといて行こう。」と促され、母は家を後にすることができたそうです。

私は1年半前の自分の失敗を再び犯さないように、嫌がる母の左胸にある暴力のあとを写真にとりました。

「警察には連絡した?」

警察には周代伯母さんと一緒に、私のところに昨晩電話をしてきたスズキさんという名前宛に、電話をしたということでした。

自分は認知症だと言われたことがないということ、いくつかの質問に答えた後、周代さんに電話を代わり、周代さんからも認知症ではないということを伝えてもらったということです。

警察のスズキさんは

「たしかにしっかりされてますね。では早めに自宅に帰るようにしてください。捜索願いが出ていますので、念のためお姉さんに付き添ってもらって帰ってくださいね。」

と話し、電話を切ったということでした。

私の電話に警察の番号から電話をかけてきて留守電を入れ、スズキと名乗った人。私と母と周代さんが会話をしたこのスズキという人物。

この後の裁判で、弁護士から警察への問合せに、

「捜索願いの記録は残っていないし、スズキという名前の人物は過去にも警察署には在籍していない」

という回答でした。

スズキさん、あなたは一体誰だったのでしょうか。

そして翌日は、姉と私の誕生日でした。

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