母の1年半

2022年9月13日

母の暮らし

父の退院から、母はほぼ毎日電話をしてくれました。

「お父さんの具合どう?」

「ひかるの怪我はどう?」

毎日同じことを聞いては、私の「大丈夫だよ」という言葉に安堵するのでした。

「お母さんは大丈夫?何か困ってない?」

「大丈夫。」

「そう。よかった。」

私も同じことを聞いて声のトーンでどのくらい大丈夫なのかを確認するのでした。

しかしそれも長くは続かず、すぐに私の電話番号は姉によって着信拒否され、さらに通話履歴の明細を取り寄せては、私の電話番号があると母を怒鳴りつけ、私との通話を厳しく禁止するようになりました。

私は母の近くに住む叔父の家に、購入した携帯電話を送り、母に渡してもらいなんとか連絡をとることができるようになりました。

時折、母の住む隣町まで行き、食事をしながらお互いの話をしました。

毎月姉に言われて入れていた生活費が3万円から5万円に増えたこと。

建て直した家のキッチンを使わせてもらえず、梅もらっきょうも漬けられなくなったこと。

パン作り用のオーブンが小屋にしまわれて、パンが焼けなくなってしまったこと。

孫と戯れていると不機嫌になるため孫との時間にも気を使ってしまうこと。

家にいてもやることがなく、毎日神社に行って時間を潰していること。

どうしてこんなことになってしまったのか。

私は家の建て直しに賛成してしまったことをひどく後悔するのでした。

まもなく80歳を迎えようとする母が、この先もし病気になってしまったら…もしものことがあったとしたら…どうすればよいか思い悩む毎日でした。

そんな暮らしを1年以上続けたある日、姉は母の持っているすべての土地の名義を自分に書き換えてほしいと訴えてきました。

母は「ゆきが住んでる家をひかるが欲しがるわけがないし、ひかるはそんなことはしない。ここはゆきの家なんだからそんな心配をする必要はない」

と話したそうですが、期待する答えをしなかった母に対して攻撃度は増し、蜘蛛の糸一本で保っていた2人の関係は完全に壊れてしまいました。

「うちの財産が全部ひかるにとられる!」

姉は何かにつけてうちの財産を私にとられるということをわめきちらし、壁やドアにあたり、母が家で穏やかに過ごせる状況ではなくなっていました。

姉は一度暴れ出すと手がつけられず、しばらく時間が経つまではまともに会話も出来なくなっていきました。

母はこの頃から埼玉に住む母の姉の家に頻繁に泊まりに行くようになり、自分なりに身の安全を守っている様でした。

母の土地に自分名義の立派な家を父に建ててもらい、なぜ姉がこんなにイライラしているのか、私はいろいろな理由を考えましたが、本質にたどり着くことはできませんでした。

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