2022年12月18日
4月3日。
その日は三つ違いの姉と私の誕生日でした。
同じ誕生日の友人とランチをする、毎年楽しみの恒例行事も、
この日ほど気分ののらない日はありませんでした。
せっかくの誕生日に、こんな嫌な話を話題にするのも迷惑だし、そもそも
私の顔は怒りで歪んでるのではないだろうか。
そんな不安をよそに、久しぶりに会う気のおけない友人とのランチはやはり楽しく、
トゲトゲした気持ちを少し冷静にさせてくれました。
その夜、父に電話をし、事態の一部始終を冷静に伝えました。
家の建て直しからくすぶり始め、父の病気をきっかけに始まった姉夫婦からの追い出し攻撃は、
とうとう父と私の東京組だけにとどまらず母にまで及んでしまったこと。
東京に住む母の姉弟、一男さんや周代さんまで心配をかけていること。
そして姉は、私の夫の実家や警察まで巻き込んできていること。
父は絶句し、次第に怒りを言葉にし始めました。
「なんでタケルの実家に電話すんだよ。関係ないだろ。冗談じゃない。
もう黙っちゃいないよ。乗り込んで俺が話をつけてやる。
俺らのために一生懸命やってくれてるひかるに、もう絶対嫌な思いはさせないから。」
この時の父の言葉は、その時の私にはとても心強く、不安にまみれた気持ちを和らげ、安心させてくれました。
3日後の4月6日、母は警察からの「捜索願が出ているのだから、必ず家に帰ってもらわないと困る。」という言葉に動かされ、周代さんに付き添われ家に戻ったのでした。
そして父は姉の夫へ連絡を取り、家に行く約束を取り付け、私と和夫さんもそれに同行し一緒に行くことになりました。
元々血の気の多い父が、1年半をかけ、ようやく病を克服し反撃に出る。
必ず姉夫婦を懲らしめてくれるのだろうと、私はたかを括っていたのかもしれません。
まさか、ミイラ取りがミイラになってしまうなんてことは、少しの想像もしていませんでした。