2022年8月31日
2012年の秋に家が建て替えられ、姉は仕事を辞め、姉の夫が10年の単身赴任から戻り、母の居場所は居心地が悪くなるばかりでした。
これは家族間における 建物収去土地明渡請求 の記録です
母は私に愚痴をこぼすことが多くなり、私は母を食事に連れ出して話を聞き、なだめることしかできませんでした。
今まであれほど母に生活を頼っていた姉は、母を口汚く罵るようになり、私には母の食費がかかるので生活費を援助してほしいと本気とも冗談ともつかないようなことばかり言ってくるようになりました。
なにかおかしい。
そんな違和感を振り払い、少し気分転換すれば姉の態度も変わるのではないかと、姉もよく知る友人に建て直した家のことを話し、一泊で遊びに行きました。
姉を含めた4人でゴルフをまわり、楽しい1日を過ごすことができたように思っていました。
帰宅後、姉から連絡が来て言われたことは、宿泊費を払えということでした。
それからというもの、父がたまに泊まっても私が泊まっても食費や宿泊費を姉から請求されるようになり、なにかがおかしい違和感は確信に変わっていました。
これが母が言っていることなんだ。
しかし私には立ち向かう勇気はありませんでした。
私が何か言うことで姉を怒らせて、母の居場所がもっと悪くなるかもしれない、家族の関係がもっと壊れてしまうかもしれない。
恐怖心が先に立ち、言われるがままにいうことを聞かざるを得なくなっていました。
25年前の冬、母が家を出て行った日は寒く、姉は21歳私は18歳でした。
二人で母を駅まで見送りながら、3人で何気ない日常の会話をしながら天ぷらを食べました。
帰りの車の中に母はもういなく、姉と私の二人きりになっていました。
車から流れる音楽はうるさいほどの音量になっていましたが、お互いの嗚咽がかき消されることはありませんでした。
この日以来ずっと3人で寄り添って生きてきた気がしていたのに、ずっとお互いを支えながら生きて気がしていたのに、
気がつけば私も、姉という人間に逆らうことができなくなっていました。
最悪の事態は、もうこのとき想像できていたのかもしれません。