姉の夫が来た日

2022年9月8日

控えめに言っても苦手なタイプ

父が自宅に戻り、私は休職をして自宅に寝泊まりし、しばらく弱っている父の支えになろうと思いました。

しかし右手を骨折しているため出来ることは限られます。

父の友人で、以前から父が個人的に夕食の支度をお願いしていた青木さんが、術後の食事を毎日丁寧に用意してくれました。

近所の友人がお見舞いに来てくれたり、週末にはフジコさんが足繁く通ってくれたりと、誰にも助けを求められない状況が一変し、東京に戻ってからはなんとか前を向ける気がしていたように思います。

それでもやはり、お粥以外のものを口にすれば食道を詰まらせ救急車を呼ぶことが何度もありましたし、急に具合が悪くなって手術した病院へ2時間半かけて行くこともありました。

私は絶対に父を元通りにして必ず見返してやろうと躍起になっていましたが、父にとっては先の見えない苦しい毎日だったのだろうと思います。

そんな時、姉の夫から自宅に来るという連絡が父のメールにありました。

それまで元気のない父でしたが、ああも言ってやろうこうも言ってやろうと、私との会話も盛り上がりました。

父はきっと、姉の代わりに姉の夫が謝りに来るのではないかと、淡い期待をしていたのだと思います。

私は姉が謝ることは想像できませんでしたが、姉の夫が間をとり持とうとしているのかもしれないと思いました。

姉の夫が家にやってきて最初に言ったことは「自分はなにもわからない。一体どうなっているのか。」ということでした。

姉から聞いたという入院前日のあの日の話について、私の態度が悪かったせいだといい始め、私は出来るだけ事実のみを冷静に伝え、姉の言っていることはウソだと否定しました。

父も私の話したことに同調しましたが、姉の夫は「なにか誤解をしている。」「2人ともなにか誤解がある。」と私たちの話を受け入れることはしませんでした。

まったく話がかみ合わないため、そもそものきっかけは姉にお金を要求され、私が姉の期待する答えをしなかったからだと伝えると、姉は低血圧だとか、精神的に参っているだとかと話をすり替えて、私たちを混乱させるのでした。

姉の夫はひとしきり自分の言いたいことを言ったあと、父がとってくれた出前のお寿司も食べずに帰って行きました。

父と私はしばらくすし桶を眺めながら呆然としていました。

あの人は一体なにをしにきたのか。

私たちの淡い期待とは裏腹に、ただ姉に派遣されて文句を言いにきただけだったようでした。

半年程度の交際で結婚した姉より2つ年上の男性。

姉には絶対に逆らわない人で、10年ほど東南アジアへ単身赴任をし、家の建て替え後すぐに日本に戻ってきました。

10年ぶり程度に言葉を交わし、なぜこの人に期待してしまっていたのかと目が醒める思いがしました。

その日の夜、姉の夫から話を聞いたと思われる姉から、怒り狂った電話が父にありました。

「椅子に膝を立てて座ってすごい態度でゆきに暴言吐いてきたのひかるじゃん!!ケンカをふっかけてきたのはひかるの方じゃん!!

あのひどい態度ゆきはビデオのスローモーションのように覚えてる!!お父さん見てたでしょ!思い出してよ!ゆきは1ミリも悪くない!!!」

私の態度がどうだったかは父がそばで見ていたことでしたが、父はあまりの姉の剣幕に言葉を失っていました。

電話を切ったあと父は、

「おまえ、膝立てて座ってたか…?」

私は膝を立てて座ってはいないし、暴言も吐いてないです。

実際にビデオがあれば出してもらいたいところですが、私はそういうしかありませんでした。

姉の夫が言っていた、私の態度が悪かったというのはこのことか…

姉の細かくて巧みな言ったもんがちの嘘。

いくら否定しようにも証明できないもどかしい嘘。

まるで本当の話のように熱く感情的に語られる嘘。

人の心理を巧妙に操る嘘に、私はこの先何度も苦しめられ、もはや何かしらの病気なんじゃないかと疑うのでした。

マンガやテレビの話なら、誰か視聴してくれているのに…

そんなことをぼんやり思うのでした。

しかし私たちは東京にいて、もう関わらなければ良いだけですが、母は大丈夫だろうか…

どのように暮らしているのか、それが気になって仕方がありませんでした。

不動産裁判の記事一覧
父との1年半
TOP PAGE
Copyright © 2022 legal-clip.com Inc. All Rights Reserved.