2022年10月24日
私には、家の建て替えから事の経緯をずっと見ていてくれた友人がいました。
しずちゃんとあかりちゃん。
2人は建て替え当初の家に遊びにきてくれ、その後一気に関係が壊れていった私たち家族を目の当たりにし、父の病気や私の怪我、姉の嫌がらせに至るまで、常に私に寄り添ってくれていました。
これは家族間における 建物収去土地明渡裁判 の記録です。
しずちゃんとあかりちゃんは、いつも私の話を真剣に聞いてくれました。
毎週日曜日、父の様子を見に行った帰りに、しずちゃんは私をお茶や食事に連れ出してくれました。
父の自宅にもきてくれて、3人で鍋をしながら父を励ましてくれました。
都心に住むあかりちゃんは東京の西のはずれまできてくれて、3人で深夜カラオケをしたこともありました。
あの時ストレスを溜め込まず、父の看病に向き合えたのは2人のおかげだと今も心から感謝をしています。
2015年12月年末。
2人は、姉と住む母をとても気にかけてくれ、母を誘って4人で近場の温泉に行くことになりました。久しぶりに会った母は以前と変わらない様子でしたが、一方ではやはり気持ちに重たい鉛を抱えているようでした。
父の入院の騒動から1年以上が経ち、以前のようにお風呂を楽しめる日はあるのだろうか。
今夜はしずちゃんとあかりちゃんとの他愛のない会話を楽しみ、羽を伸ばしてほしい思いでした。
夕食が終わり、部屋でくつろいでいると母がカバンの中から二通の手紙を出してきました。
二つとも姉が書いたものでした。
最初の一通を見ると、習字を習っていた姉らしいしっかりした書体で
「先日、母の土地の名義を自分に書き換えてほしい、そのためにかかる費用は全て自分が持つ、と言ったことは忘れてほしい。」
といった内容でした。
もう一通を見ると、姉の字ではあるもののひどく乱雑に書き殴られ
「もう頼まない。私の人生が滅茶苦茶になるのはお前のせいだ。この先どうなっても知ったことではない。」
脅迫めいた内容もさることながら二通目の書体から伝わる気味の悪さは、焦りや怒りの他になんとも言えない独特な異常性を感じたことを強く覚えています。
この二通が母のベッドに置かれたのは、わずか二日を空けただけで、その間に一通目の手紙について母と姉が言葉を交わしたことはなかったということでした。
その日の夜、母はしずちゃんとあかりちゃんにも今までの経緯をポツポツと話し出し、今現在自分の置かれてる状況について語り始めました。
誰にどう思われようとも、一方的に自分の独りよがりな欲求をそのまま人にぶつけ、思い通りにならなければ物に当たり、言葉を荒げ、どうにも手がつけられない姉。
頭を働かせても、母を助けるためにこの先どうすれば良いのか、何も考えられませんでした。
そしてこの後、この二通の手紙と母が持ち歩く家の鍵は、突然カバンの中から消えることになったのでした。