2022年9月2日
地方のがんセンターに父が入院する日の前日となった2014年9月29日。
その日も姉夫婦からの連絡はなく、私は車に父を乗せて姉達の住む家に向かいました。
まずは姉に謝り、明日の朝父を病院に連れて行けば、ひとまず父は治療に専念できるようになるだろう。
姉という人間が自分に逆らったものを絶対に許さないということを、頭の片隅に無理やり閉じ込めました。
「生意気なことを言ってすみませんでした。お父さんを助けてください。お願いします。」
姉はなにも言わずにキッチンで何かをしていました。
明日になれば入院ができる。
今夜はとにかくやり過ごそう。
父と私は、会話もなく父の部屋でボーッとテレビを眺めていました。
夕方が過ぎ、晩酌がしたいと言って父は姉のいるダイニングへ行きました。
しばらくすると、なにかを言い合う声が聞こえましてきました。
イヤな予感がして私も2人がいるはずのダイニングへ向かうと、キッチンに立ったままの姉と、ダイニングテーブルに座った父が口論している最中でした。
「どういうことだよ」
「だから退院したら東京に戻って東京の病院で治療の続きをしてよ」
「話が違うだろう」
「しょうがないじゃん、子供の学校のこともあるし、私にも色々あるんだから。たまに東京にも行くし」
「冗談じゃない、ぶさけんなよ」
「…どうしたの?」
父は私がそばにいることに気がつくと、
「東京帰れってよ!なに言ってんだか。話が違うよなあ?」
「なんで?」
「知らねえよ!」
「だから私にもいろいろあるって言ってるじゃん!」
「え、、退院後の療養させてくれるって話だったから、こっちの病院選んだんだし…」
また姉を怒らせたら元も子もない。
頭の中でぐるぐる言葉を選び続けました。
「冗談じゃない、東京へ帰る。支度しろ。こんなとこいられるか」
父は立ち上がり、自分の部屋へ戻ろうとしました。
私は父の後を追うようについて行くと、背中に何かがぶつかった気がしました。
振り向きながら下を見ると、キッチンから濡れた布巾を投げつけられたようでした。
布巾が飛んで来た方へ目を向けようとした瞬間、私の真後ろにはすでに姉が立っていて、私につかみかかってきました。
「私にだっていろいろあんだよ!お前のせいなんだよ!お前が…!!」
左腕を掴まれそうになったので、とっさによけましたが、袖口の少し広がったスエット生地のトレーナーは簡単に掴まれてしまいました。
両腕の袖を掴まれ、向かい合わせになり一瞬なにが起こったのかわかりませんでした。
姉は、私の両方の袖口をつかみながら自分に引き寄せ何度も私に膝蹴りを入れました。
時には緩め、また強く引き寄せたタイミングで自分の膝を私に打ち込んできました。
尖った膝が下腹部や太ももにあたる衝撃で、私の顔からメガネが吹き飛びました。
メガネがないと明日車の運転ができない。
どうしようお父さんを病院を連れて行けない。
そんなことを思いながらすぐに足元に目をやりメガネを探しましたが、裸眼ではなにも見えません。
時間にして1分なのか10分なのかずいぶん長く蹴られてるように感じました。
ふとみると私の左側に父、右側に母が立ち私から姉を引き剥がそうとしていました。
「やめろ!なにやってんだ!!離せ!」
「やめて!やめて!」
両側からの怒号で耳の鼓膜が破れそうでした。
妨害により思い通りに膝蹴りが入らなくなった姉は、私の左の二の腕に噛みついてきました。
父と母の叫び声が響き渡りました。
早く終わってほしい…
不思議と痛みの感覚はないものの、歯が皮膚に食い込んで左腕の皮膚がブチブチっと裂けるような感覚がありました。
このまま食いちぎられるかもしれない…
25年前、姉の留守に父の愛人が家にいた時、帰ってきた姉がつかみかかり取っ組み合いになったときのことを思い浮かべていました。
私はオロオロとその場に立ち尽くしていましたが、父は今回と同じく愛人から姉を引き離そうとしていました。
姉は愛人との取っ組み合い後も気分がおさまらず、警察に通報して、知らない人が家にいて暴力を振るわれたと、掴まれた腕がどれだけ痛むかを泣きながら訴え被害届を出していました。
姉によってひどくデフォルメされた話に駆けつけた警察官は同情し、家のまわりの警備を強化すると言って帰っていきました。
反撃したらきっと私もあの時のあの人のように警察に突き出されるだろう…
絶対に反撃してはいけないパターンのやつだと、されるがままに早く時間が過ぎるの待ちました。
やっと私の左腕から引き離された姉は、キッチンの勝手口から飛び出して行きました。
吹き飛んだメガネはフレームが曲がり、レンズが外れていましたが父が拾ってなんとか張り付けてくれました。
よかった。メガネは大丈夫。明日父を入院させられる。気持ちをそこに集中させなければ。
「今夜はどこか旅館に泊まって。ここはいいからとにかく明日お父さんを無事に病院に連れて行ってあげて。」
母が言った言葉に救われました。
私は近くの旅館に電話しようとスマホに右手を伸ばしました。
痛っ…めちゃくちゃ痛いっ…!
噛まれた方の左手ではなく、右の手の甲が飛び上がるほど痛いことに初めて気がつきました。
痛くてスマホを取り上げることすらできません。
痛すぎる…母が気づいて急いで湿布を貼ってくれました。
「大丈夫大丈夫」手の甲をポンポンと叩かれ、私はその衝撃でうずくまるのでした。
そのまま父と二人近くの旅館に行き、夕食を食べていないことに気がつき食事をしましたが、二人ともほとんど何も食べませんでした。
「不味いな…」と呟き、父はひたすらお酒を飲み続け、灰皿には山盛りの吸い殻が溜まっていました。
私はお風呂に入ろうと大浴場に向かいましたが、右手が痛くて服が脱げません。
やっとの思いで上着を脱ぐと、そこには驚くほどに赤く膨れ上がり、歯形に出血している左腕がありました。
腫れ上がった血の滲み出る左腕と、少しでも動かすと激痛が走る右手。
脱いだ上着は首も袖も伸び切って、首周りは派手に破れていました。
お風呂に入ったものの、体を洗うことも、ましてや頭を洗うこともできません。
その日は一睡もできず、父が寝ている方からはタバコの匂いが途切れる事はありませんでした。