なぜ裁判することになったのか

2022年8月28日

事件のきっかけ

2016年3月。

連日テレビからSMAPの解散報道が流れる最中、母は住む家を失いました。

同居する姉夫婦から暴力を振るわれ、着のみ着のまま家を飛び出した母。

はたして、法律は母を助けてくれるのでしょうか。

これは家族間における 建物収去土地明渡裁判 の記録です。


1991年。母は離婚しました。

第二の人生は、生まれ育った故郷に親から相続した海の見える高台の土地に家を建て、喫茶店をやりながら生計を立てていました。

私には3歳年上の姉がいます。

両親の離婚当時、姉は短大を卒業して信用金庫に就職したばかりでしたが、2年ほど勤めたあと

東京の暮らしをあっさり辞めて、母の家に引っ越していきました。

1994年夏、母と姉の同居が始まりました。

姉は同居開始から約2年後には地元の男性と結婚し、結婚後も夫婦で母の家に同居していました。

二人の間には子供が産まれ、姉の夫は東南アジアへ10年の海外単身赴任生活となり、

姉は働きに出かけ、母は喫茶店をやめて孫育てに奮闘し、私は連休には必ず母の家に行く。

そんな暮らしを続けていました。

両親の離婚から25年が過ぎた2012年、父がお金を拠出し母の家を建て直すことになりました。

理由は、仕事を辞めた父がたまに遊びに行く場所が欲しかったから。

他人が見たら、離婚した夫婦がまた一緒に暮らすのかと、不思議に思ったかもしれません。

しかし私は、また家族が一つになるような、そんな嬉しささえあったものの何の違和感にも気がつきませんでした。

父の拠出金は4000万円。姉は1200万円。

姉から費用の相談を受け、私も300万円を拠出しました。

建て替えの話が最初に出てからわずか一年足らずで、驚くほど大きな家に建て替えられていました。

海が見える広々としたリビングダイニングキッチン、父専用のリビングと寝室。ソーラーパネルを乗せた屋根と高級レンガの外壁。

2階には姉家族の部屋があり、一階にある母の部屋からも海が一望できました。

田舎の広い敷地に、なんの制約もなく建てた立派な家でした。

しかしこのあと、

解散した家族がふたたび一つになる奇跡は、決して起こる事はありませんでした。

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